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61年間を振り返る PART7 転職 そして病気

プログラマーになって転職をしました。

 

公明新聞という公明党の機関紙です。

 

ちょうど新聞製作がコンピュータ移行になる時の転職です。

 

内容は新聞製作における全ての器械を操作することです。

 

数人で1台使用する器械5種を全て操作出来るようになることです。

 

見たことがない器械の操作を全て覚える。

 

普通では考えられない。

 

でもコンピュータやっていたという一言でやるしかないのです。

 

1カ月で全て覚えました。だから器械がストップするとすぐに電話がなり呼ばれて動かす。

 

それをひたすらこなしていました。

 

順調に仕事が進み4年間でその部署はなくなりました。

 

その部署にいた人は他の部署へ。

 

どういう訳か私だけ公明党のシステム部に異動。

 

初めはデータベースを作っていましたが、プログラマーをやっていた関係で人事給与のシステムをやることになりました。

 

人事発令の為の資料、給与の体系を操り昇級や給与アップを行っていました。

 

私1人で500人の給与アップを考えて提供する事はとても大事でミスもできません。

 

そんな私に試練が来ました。

 

ストレスと寝れないような状況が続いて、胃腸の調子が悪くなりました。

 

それと時々動悸が起こり始めました。

 

心臓が勝手に動き始めたのです。

 

横になると治まり起き上がり動くと動悸が起こりを繰り返します。

 

会社の近くに慶應病院があり、緊急で駆けつけて診てもらうことに。

 

数人の医師が集まり針をあちこちに刺したりして検査した結果医師から一言家に帰って死ぬか入院するか決めて下さいでした。

 

病名は心室細動でした。

 

心室が勝手に動き心臓発作を起こして死ねのです。

 

だから緊急入院を選ぶしかないのです。

 

緊急入院して次の日から精密検査になるはずが、入院した次の日インフルエンザで熱を出しました。

 

3日間誰とも会えません。

 

来るのはマスク姿のナースです。

 

タミフルと解熱剤で初日には熱が下がり、テレビ三昧です。

 

個室を選んでいたので自由です。

 

なんとか3日間を過ごすと検査が始まりました。

 

心電図をつけて歩いたり、少し走ります。

 

また心臓をエコーしてどうなっているか調べました。

 

そして手術を受けることになりました。