61年間を振り返る PART3 高校生時代 新宮高等学校
あっけなく入学できた高校=新宮高等学校
一応有名人が卒業しています。
作家・詩人 佐藤 春夫
芥川賞作家 中上 健次
野球選手 石垣 一夫(元衆議院議員)
野球選手 前岡 勤也
野球選手 岡田 守雄
野球選手 庄司 智久
野球選手 藪 恵壹 他にも多数野球選手を輩出
岩出 雅之 帝京大学ラグビー部監督(有名すぎる人)一年先輩の方です。
その他多種多様で活躍する人が多い。
私の卒業生の中からは10数名の医者が誕生しています。
そのような高校で1年生で麻雀を覚え、高校生なのに賭け麻雀を日々やっていました。
別に不良では無く普通の学生の遊びとしての一環です。
一番高校生で思いが強いのが2年生時代です。
クラスメートの仲間意識が強い1年間でした。
担任は国語の先生でした。よく叱られました。授業中将棋をしていてふと教室の廊下を見ると担任が将棋をさしていた私たちを睨んでいました。
文化祭では教室を木材で山小屋風の喫茶店を徹夜でつくり儲けました。
文化祭の次にあった体育祭はぎっくり腰で出ることも出来ずに後悔しています。
修学旅行は九州3泊4日 ちょうど誕生日が重なりクラスメートが寄附を募りそのお金でプレゼントを買ってギターを弾いたり、歌を歌って祝ってくれました。
その修学旅行中祖父が倒れました。
修学旅行で買ってきた長崎カステラを土産で持って行って食べさせようとしましたが、食欲がないと言って一口も食べないので、家族にいつもなら食べてくれるのに食べる元気もないから亡くなるよと言った2日後に亡くなりました。
不思議と何気なしに言ったことが現実になることが多いです。
姉が飼っていたインコの様子が悪いので、あと少ししかもたないよと言った2日後に死にました。
だからあまり頭で思ったことを口にしないようにしました。
その高校2年生の時将来の進路をどうするか担任と話をした際大学に行きますと言ったら担任から「この成績でいける訳ないやろ」非情な言葉が返ってきました。
まあ殆どの科目が2でしたからそう言うのも納得しなければいけないですが、せめて頑張ってと言って欲しかった。
そんな私でも大学受験のため3年になると同時に英語に力を注ぎました。
何故英語かというと志望校が創価大学で英語が200点で英語で点数を稼ぐしか無かったのです。
参考書を1冊買って丸覚え模擬試験も受ける度に順位が上がりました。
そして受験 あえなく不合格。1年間みっちり勉強しても合格しないのが現実。