61年間を振り返る PART4 予備校時代
案の定 不合格で余儀なく浪人生活をすることになりました。
貧乏で予備校に行くこともままならないので、自宅で浪人生活を送りました。
自宅で浪人と言ってもやることは問題集をやることと通信講座で勉強をしました。
またラジオ講座も聴きながら勉強。できる限りのことはやりました。
そんな中 夏に差し迫った7月 母親から9月から東京で浪人生活をしてもいいよ言われました。
どこで浪人生活を送れば良いか分かりませんでしたが、予備校が近いという理由で高円寺に決めました。
今では芸人の多くが高円寺駅近くにいますが、その時はただ近いという理由のみでした。
いざ上京して高円寺の下宿先を決めて住みましたが、門限が9時という早い時間でした。
予備校も9月からなので4月から勉強している人と比べると歴然として力が違います。
予備校の教科書は殆ど分からずついていくことも出来ませんでした。
下宿先に閉じこもって勉強するのはストレスの元でした。
どれだけ勉強しても大丈夫なのか分からないのもストレスに拍車をかけます。
あるとき空しくなり、涙が溢れ出し死にたいという気持ちが出てきました。
死ぬ方法は感電死です。タイマーを使って通電させ感電死するという方法です。
でも死ねなかったです。貧乏で生活も大変な中、浪人生活をさせてくれた母親を思うと実行に移すことはできませんでした。
だからもう一度勉強を始めました。
そんな時ある1冊の薄い漢文の問題集を買って暗記しました。
それが良かったのか見事に試験に出たのです。
あとは筆記試験後の面接です。
法学部、経済学部、そして経営学部
面接の時3つの学部を受験しているけれど、どの学部に行きたいと聞かれました。(経営学部の受験後)なのに法学部です。と素直に答えました。
何故法学部なの?
検事になりたいです。
面白いね。普通皆弁護士になりたいと言うけれど、なんで検事なの?
悪を弁護する気になりません。悪を悪とただす検事になりたいのです、と言ったときに
君は必ず入るよと言われました。
そして合格発表を見に行きました。初めの法学部、不合格。
次の日、経済学部、不合格。
そして最後の経営学部、不合格。
3学部とも不合格。そして同じ新宮市出身の先輩たちが残念会を開いてくれました。
その残念会を行っている時 ある人の元に1本の電話が入ります。
それは母親からで先ほど「電報で「経営学部 合格」」という内容でした。
そうあの質問官が言った言葉「君は必ず入るよ」が実現しました。
運良くなのか、必然的なのか分かりませんが見事に志望校・そうか大学に合格。