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61年間を振り返る PART5 大学時代(創価大学)

希望に溢れる大学。当時授業料は国立並みに年間12万円。

 

今100万円以上ですね。恵まれた時に入学できました。

 

経営学部と言ってもそれほど経営学を習うわけでもなく、受けたい科目を選択して授業に参加していました。

 

あまり友達もいないので、授業に行くのが億劫でした。

 

それでも学園祭でクラスメートからお呼びがかかり参加しました。

 

私の大学の良さは、各クラスで催し物を行い各部門で最優秀賞を決められます。

 

1年次は劇。誰かが脚本を書いて皆で演技を行い劇をつくりました。

 

結構評判も良く、大学の体育館の壇上で劇部門 1年4組と言われノミネートされ呼ばれました。

 

誰が壇上に上がるのか決めることになったときクラスの皆は私を推薦し、壇上へ。

 

まあノミネートされただけで最優秀賞は取れませんでした。

 

2年次は展示物を企画。これは内容も濃く評判も良くて展示物部門でノミネートされました。

 

2年続けてノミネートされたクラスは私のクラスだけです。

 

最優秀賞に及ばなかったのですが、2番目に良いと評価され優秀賞を貰いました。

 

クラスメイトたちはいい人が多く。自分の夢を持って学んでいました。

 

自分はただ大学が好きで授業に行っているという平凡な人間でした。

 

クラスメイトは卒業後銀行員や会計士、税理士になった人が多いです。

 

1年次学校に行っていなかった分単位が少なく4年次毎日授業を受けに入っていました。(普通4年次は授業を受ける科目が少なくなり就職活動を行っています)

 

入学時必修科目になっていた数学を4年次に取ることになりスケジュールを考えると

鬼と言われていた教授の数学を履修。

 

夏休み前120人ぐらいいた人が後期の授業に半分しかいません。

 

そう難しいし、ついていくのが厳しいので辞めていくのです。

 

後期が終わる頃には30人いるかいないかぐらいに減っていました。

 

真面目に授業を受けレポートを出してもテストが駄目なら不可です。

 

こんな私でも就職活動をしていて、京樽という外食関係の会社に内定していました。

 

でも鬼の数学が不可の為卒業が出来ませんでした。

 

卒業できない旨を会社に伝えたところ、大丈夫だよ。

 

授業を受ける日を休みにして土日一生懸命働いてくれれば良いからと言われて働きながら数学の授業を受けに行っていました。

 

今度の教授は鬼ではなく仏と言われていた人で授業も分かりやすく、テストも簡単でした。

 

唯一休みの日が大学なので、身体を休ますことが出来なかったことに加え外食関係と言っても初めはチェーン店の店長代理です、

 

朝10時から夜10時まで働く毎日。疲労がマックスになった時に今のまま続けていると身体壊すなと思って会社を辞めました。

 

そして次の会社ランドコンピューターという今で言うIT関係に内定。

 

無事に卒業して入社。次につづく