61年間を振り返る PART6 就職そして退職
無事に卒業が出来て株式会社ランドコンピューターに入社。
晴れて社会人の一員になりました。
コンピューター関係なのでSE(システムエンジニア)、PG(プログラマー)になることです。
私は経営学部卒でコンピューターのことは一から分かりません。
だからこの会社は新入社員を3ヶ月コンピューターの専門学校に入れてくれました。
今はやりの言語ではなく、当時プログラムを書いていたのはCOBOL言語でした。
3ヶ月で一通り勉強してプログラムを一人で作成できるかというと無理です。
内容は分かっても一から作ることは出来ません。
それでも入社4ヶ月目には派遣され、銀行や証券会社のグループに所属して仕事を始めました。
私の初めての仕事は銀行でした。先輩たちが作り上げているプログラムをにらめっこしながら仕様にあわせて組み上げていきます。
COBOLは英語をそのまま書くような言語なので、記述もしやすく間違いも見つけやすいです。
A+B=C は COMPUTE C = A + B. という簡単な処理です、
銀行に次は証券会社、大蔵省とあらゆる仕事をこなしました。
有るとき後輩が作りかけていたプログラムに削除という命令文を入れて実行を行ったところ、それまで蓄積されていたデータ全てが無くなり会社総勢で一からプログラムを作成データを復元したことがあります。
たった一つの用語で一瞬にして消えてしまうことを身にしみています。
他にも富士通のコンピューターを動かすための言語を覚えたこともあります。
私にとってここでプログラムを覚えることが出来たことは次への転職にいきました。
PART1にある創価学会の関連で転職の話がきてこの会社を辞めることなりました。